赤城のふもとから山歩き

赤城のふもとに居をかまえ、山や花や家族のこと。

八ヶ岳 縞枯・茶臼山スノーハイク

2024/2/14

 

 

父の四十九日の法事の予定もあり

長男が修論が終わったと、少し早く帰省してきた。

バレンタインデーだというのに

スノーハイクに誘ったら、二つ返事で行くという。

嬉しいような、ちょっと心配なような…

まぁ、4月からは神戸で社会人になるのだから

こんな時間を彼と過ごせるのも今のうちだろう。

 

 

 

 

ファミリー登山を始めた頃は乳飲み子の次男を背負って歩いたのだから

長男は3歳だったはずだ。

あれから20年以上経つが、子供たちは山を愛している。

長男は学校の友人たちと山へ行くようにもなり

子供の頃の経験がそれなりに活きているようだ。

時々、山行計画を相談され

密かに私はそれに喜びを感じつつも

できるだけ平然と、アドバイスなどしているのだ。

 

 

 

 

それにしても、雪が少ない。

今年は暖冬だと、毎年のように言っている。

今年も暖冬なのだ。

そして年々、その異常さが加速度的に進んでいる気がしてならない。

じわりじわりと変化しているというよりは

かなりのスピードをもって変化している。

 

 

 

 

風の音、鳥の囀りを聞き

雪が木々から落ち煌めく様子を眺め

山の頂に立ち

眼下に広がる景色を眺める。

 

 

 

 

私は何度となく、山に救われた。

そして、今もまた山に救われ

ようやく本来の自分を取り戻しつつある。

 

 

 

 

その山は、この地球の変化をどう感じているのだろう。

やがて「沈黙の春」は、本当に訪れてしまうのだろうか。

それからでは遅い。

もしかしたら、すでに遅いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

<今日のルート>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪の日白山を目指して

2024/2/8

 

 

明日は雪の鍋割だなぁ♪…と思っていたら

その夜、会長さんから日白山への募集がかかった。

2日連続の雪山だけど、怪我明けだけど、行きたい!

ダメって言われたら、大人しく引っ込めよう。

早出で4時起きの夫に、明日は日白山に行ってきますと宣言。

今日、鍋割に行くって言ってなかった?

うん。今日は鍋割。明日、日白。

今日の午後は会社に行って仕事するから!いい?

まったくぅ…と、夫の顔が諦めにも似た呆れ顔になった。

 

 

 

 

バリルートをルーファイ、ラッセルしながら稜線に登り上げる。

楽しい、楽しい、楽しい!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

興奮して、いつもよりおしゃべりな自分。

山の会を辞めようか悩んでいた時

会長さんからLINEが届いた。

まわりは大丈夫。

居座ってください。

山を楽しみましょう。

メッセージを読んで、号泣した。

 

 

 

 

 

 

 

 

人と関わることを極力避けて

家族と数少ない友人と、そんな環境から

周りに散々心配されながら飛び込んだ山の会。

沢がやりたくて

技術や知識、もっとスキルをあげたいって思って

ライミングもやってみたら本当はすごく楽しくて

私の場合はグレードを上げていきたいっていう欲求よりも

もっといろんな岩に触ってみたい。

クラックに挟まれた時の感覚が好き。

スラブに重心を意識しながら乗っかる感覚が好き。

指がかかった時のワクワクした感じが好き。

だから、本当はもっとクライミングもしたい。

 

 

 

 

 

 

会議はその空間と状況が苦手で

震えとチック症状がでちゃうし

マイルールが強すぎて

わからない、納得がいかないってなると

何故ですか?どうしてですか?って確認しないと気が済まなくて

とにかく面倒くさい人間だと自分でも思うし

あちらこちらにぶつかって

関係のない人まで巻き込んで

雰囲気を悪くしちゃうんじゃないかって

やっぱり自分は社会に出てきちゃダメなのかなって

 

 

 

 

そんな時、大丈夫だよって言葉は心に沁みた。

雪山に包まれて

人の優しさに包まれて

もう1mmも疑心暗鬼にならず

感謝だけで胸をいっぱいにしてもいい。

 

 

 

<今日のルート>

 

 

 

挑戦

2024/2/3

 

 

少し自信がついたので、2ヶ月半ぶりに北秩父にある横隅山へ。

 

 

 

年明けから奥歯を砕いてしまいそうなほどの食いしばりに悩まされていて

これまでの怒涛の半年間のストレスかな。

 

 

 

 

以前から自分は筋肉を緩めるという行為がとても苦手で

リハビリの先生からも幾度となく力を抜いてと言われるほどで

一度、全身が緊張状態になるとなかなかその状態から抜け出せず

そして心身ともに疲弊してしまう。

 

 

 

 

何かを変えなければ、立っていられない気がして。

今までになかった自分になってみようという思いが芽生えて

毛嫌いしていたメイクに挑戦し

といっても、きっとメイクしているのかどうか

他人にはわからない程度だし

汗をかく夏には投げ出してしまいそうだけれど。

そして、幾度も挫折したコンタクトレンズに再挑戦し

おそらく花粉症で早々に退散しそうだけれど。

 

 

 

 

それでも、何か今年は

新たに踏み出す年な気がしていて。

やりたいと思ったことは迷わず踏み出していこうと思う気概もあり

また、やりたいと思いつつも今はやれないことは

しばらく温めていようと思える自分もいて。

集中して読んでいる環境学環境工学の本も

読めば読むほど、自分の中の迷路に迷い込んでしまい

他の誰かの意見を聞いてみたい欲求にかられるものの

それは、叶えられるはずもないことだと気づき

今さらなが「沈黙の春」を手にした。

迷走こそ自分なのだ。

ようやく、そのことに気づけた気がする。

迷走するから、学問を欲する。

いくら知識を増やしても、喉の渇きが癒されることはない。

私はきっと、そういう人間なのだ。

誰かと競い合うことは向かない。

そういう感情を向けられると逃げ出したくなってしまう。

いかなる身分でも手にした知識は、誰に侵されることはない。

父方の祖母の言葉だ。

心赴くままに、欲する何かをまっすぐ見つめて

死ぬまで何かを学び続ける自分でいたいと思う。

 

 

 

 

 

<今日のルート>

 

 

 

再始動

2024/1/28

 

 

ようやく松葉杖から解放された。

また、今年もリハビリハイクからだけど…再始動!

 

鹿田山フットパス。

カタクリの撮影で岩宿へはよく行っていて、以前から気になっていた場所。

 

 

 

 

家事を済ませて、午後からのんびり出発。

ダウンジャケットも持ったけど、日差しがとっても暖かい。

緩やかな斜面をのんびり歩く。

やっぱり山はいいな。

その場所にいられるだけで、幸せな気持ちになれる。

 

 

 

 

 

 

急がない山歩きは、鳥たちの声をのんびりと追いかけ

コゲラっちのドラミングに耳を傾け

 

 

 

 

カケスどんの鳴き声は、ひときわ大きく

ぎゃーぎゃーぎゃー

自己主張強め( ´∀` )

 

 

 

 

あ、睨まれた(^^ゞ

 

 

 

 

以前はなかなか見つけられなかったエナガっち。

最近は遠目でも発見できるようになってきた。

 

 

 

 

ヤマガラくんは、今日はピントが合わず

見ました的な証拠写真のみ(笑)

 

 

前十字靭帯と半月板の再建手術の後よりも

歩きに不安がないのでホッとした。

やっぱり山が好きだな。

戻ってきたよ。また、よろしくね。

 

 

<今日のルート>

 

 

 

 

 

 

父 旅立つ

 

 

 

 

2024年1月1日。

父は旅立った。

 

告別式を終え、組まれたばかりの祭壇の前で

夫がごろりと横になる。

その労をねぎらうかのように

息子達が無言でその両脇に寝転がった。

 

息子達への愛情の注ぎ方をみれば

夫がいかに父に愛されて育ったのかわかる。

棺が閉じられる前の最後の別れ。

夫は絞り出すような声で「おつかれさまでした」と声をかけた。

 

メモリアルコーナーの写真を選んでいると

父が母の口に、あーんと入れてあげている写真や

ふたり乗りの自転車に乗って笑っている写真や

父と母の仲睦まじい写真がたくさん出てきた。

生前、ふたりと一緒にお昼を食べている時も

夫婦漫才のような喧嘩を目撃することがよくあり

クスクス笑いながらその様子を眺めていたものだ。

 

母が亡くなったのも1日だった。

なんだか、今なら同じ月命日になるからと

母が父を迎えに来たような気がする。

 

私は大学進学のため18歳で親元を離れたので

26歳で結婚して25年。

実の親よりも長く一緒に、そして何度も

父をお父さんと呼び、母をお母さんと呼んだ。

 

大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

The Best shots of my life in 2023

 

 

1月 次男「はたちのつどい」

 

 

2月 前橋市街地

 

 

 

 

3月 小川町(仙元山)

 

 

 

4月 筑波山

 

 

4月 榛名山(黒岩)

 

 

5月 赤城山(駒ケ岳南東尾根)

 

 

5月 中倉山

 

 

5月 鎌倉(明月院)

 

 

 

6月 浅草岳

 

 

 

6月 袈裟丸 弓ノ手沢

 

 

7月 前橋市街地

 

 

 

 

 

7月 太郎山

 

 

7月 乗鞍岳

 

 

 

7月 尾瀬 センノ沢

 

8月 赤城山

 

 

8月 赤城自然園

 

 

 

 

8月 奥秩父 手戸沢

 

 

8月 那須岳 中ノ沢

 

 

9月 酒田市

 

 

 

 

 

9月 月山

 

 

 

 

 

10月 尾瀬 小淵沢

 

 

 

10月 西上州 墓場尻沢

 

 

11月 嵩山

 

 

11月 巻機山 米子沢

 

 

左脚の前十字靭帯と半月板を損傷して1年。

リハビリの先生から次回が最後ですねと声をかけられた翌週。

右足首を骨折した。

24時間必要になった父の見守りを夫に交代してもらい、できた自分の3時間。

ボルダリングの着地で、またやってしまった。

痛みよりも、後悔が優先した。

救急搬送先で応急処置をしてもらい、タクシーで帰宅。

絶対、怒られると思っていた。

夫は笑顔で、まったく〜と玄関を開けて出迎えてくれた。

後日、あの時は息抜きが必要だったよねとも言ってくれた。

退院した日には、おでんが作ってあった。

夫には、感謝しかない。

 

1年ぶりの手術。

入院期間は、去年よりも長い25日。

おかげで読書三昧。8冊読んだ。

学びたいと思える学問に出会えた。

 

行きたい沢のリストを作成した。

行ける自信もできたし、地理的なことや流域の特徴を把握できた。

 

大学時代からの友人の母上と同室になった。

わかった時は驚いたが、今では偶然というより必然の出会いだったような気がしている。

 

息子達と同じ特性を持った准看護師の学生さんと交流があり

自分がやるべきか悩んでいる仕事に関係していて、背中を押してもらった気がしている。

 

私の入院中、父も入院となってしまったが、今は状態が落ち着いているようだ。

年末までに、また一緒に暮らせたらと思っている。

 

この1年。

多くの人と関わった。

自分らしく生きることの難しさも痛感したけれど

会うべき人に出会えたと思える年でもあったと思う。

残りの人生をどう生きていくか

その道をまっすぐ見据えられた。

 

怪我はしたけれど

おそらく、必要な25日だった。

 

写真も文も拙いこのブログに

お付き合い頂き、ありがとうございました。

相も変わらず、彼方此方にぶつかり

迷走し続け

それでも、ここにブログという手紙を書き続けることで

私はバランスを取れているのです。

もしもこの、片道文通に

来年もお付き合いいただければ幸いです。