赤城のふもとから山歩き

赤城のふもとに居をかまえ、山や花や家族のこと。

これからのこと。

2023/11/18

 

 

久しぶりに榛名の天狗山を歩いた。

夫と交代をして、午後から自分の時間ができたのだ。

 

 

 

 

ひとり暮らしをしていたK家の父の病気がわかり

急遽、同居が決まった。

もともと20年ほど前から、

平日、私はK家の両親と一緒にお昼を食べてきたし

その習慣は母が亡くなってからも変わらず

父と世間話や子供や山のことをおしゃべりしながらお昼を食べてきた。

 

 

 

 

そんな父の異変は半年ぐらい前からあった。

食欲が少しづつ減っていく。

大丈夫かと尋ねると、

80もすぎればこんなもんだろうと答えが返ってきた。

 

 

 

 

2~3週間前から、ほとんど食べなくなった。

毎日、顔を合わせている私にさえ父がみるみる痩せていくのがわかった。

何かおかしい…胸騒ぎがする。

 

 

 

 

早朝、夫の携帯に父から電話が入る。

お腹が痛いから病院に連れて行ってくれと。

すでに東京に向かっていた夫から私に連絡がきて

私は父の家に車を飛ばした。

 

 

 

 

ベッドに横たわる父は

僅かに苦しそうな表情を浮かべながら私をみあげる。

いつからなの?という私の質問に

前日の夕方からだと答えた。

亡くなった母もそうだったが、父も我慢強い人だ。

その人が助けを求めるなんて、よほど苦しいに違いない。

私はためらわず救急車を呼んだ。

 

 

 

 

それでも、父の落ち着きっぷりに

その日は痛み止めの点滴だけで帰宅となった。

翌日、念のためにと受けた胃カメラの映像を見た医師が驚く。

食事が摂れないのも確かですが、相当の痛みだったはずです…

だから昨日からそう訴えてますけど!と私は心の中で叫んだ。

父の顔を見ると、少しホッとしているようにも感じた。

 

 

 

 

そのまま入院したのち

新たな治療で入退院をしばらく繰り返すことになった。

もう一人暮らしは難しいからウチへという夫の提案に

父はしばらく抵抗していたらしい。

どうやら私に迷惑をかけたくないという思いだったようだ。

ひとまず治療が落ち着くまではウチで

その後は、また考えましょうという提案に

父はようやく、うなずいてくれた。

 

 

 

 

確かに父が気にしてくれたように

今まで通りというわけにはいかないだろう。

それでも私にとって家族は特別な存在なのだ。

あの日、母から「悪いけど、よろしくね」と託された大切な父だ。

これ以上に優先すべきものはないだろう。

 

夫も何かと手伝ってくれる。

そして、お互いに自分の時間を持てるよう話し合うようになった。

父のせいで何かを諦めるわけじゃない。

多趣味の父は、自分のせいでそうさせてるとわかればきっと嫌がるだろう。

ただ少し、今までよりも工夫が必要だ。

できない何かを悔やむより、できる何かを喜べばいい。

あの山を登りたい。

あの沢に行きたい。

思わなくちゃ、きっと何もできない。

思って、ひとつひとつできる工夫をするだけだ。

 

先日の午前中は、黒岩でクライミングができた。

帰宅して、そのままの格好で父と話す。

すると、父が懐かしそうに谷川の一ノ倉を登った話をしてくれる。

 

今日は榛名の天狗岩に行ってきたよ。

霰が降ってきて、びっくりした。

そんな話をできるのも、またいいじゃないか。

 

 

<今日のルート>

 

 

 

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