赤城のふもとから山歩き

赤城のふもとに居をかまえ、山や花や家族のこと。

挑戦

2024/2/3

 

 

少し自信がついたので、2ヶ月半ぶりに北秩父にある横隅山へ。

 

 

 

年明けから奥歯を砕いてしまいそうなほどの食いしばりに悩まされていて

これまでの怒涛の半年間のストレスかな。

 

 

 

 

以前から自分は筋肉を緩めるという行為がとても苦手で

リハビリの先生からも幾度となく力を抜いてと言われるほどで

一度、全身が緊張状態になるとなかなかその状態から抜け出せず

そして心身ともに疲弊してしまう。

 

 

 

 

何かを変えなければ、立っていられない気がして。

今までになかった自分になってみようという思いが芽生えて

毛嫌いしていたメイクに挑戦し

といっても、きっとメイクしているのかどうか

他人にはわからない程度だし

汗をかく夏には投げ出してしまいそうだけれど。

そして、幾度も挫折したコンタクトレンズに再挑戦し

おそらく花粉症で早々に退散しそうだけれど。

 

 

 

 

それでも、何か今年は

新たに踏み出す年な気がしていて。

やりたいと思ったことは迷わず踏み出していこうと思う気概もあり

また、やりたいと思いつつも今はやれないことは

しばらく温めていようと思える自分もいて。

集中して読んでいる環境学環境工学の本も

読めば読むほど、自分の中の迷路に迷い込んでしまい

他の誰かの意見を聞いてみたい欲求にかられるものの

それは、叶えられるはずもないことだと気づき

今さらなが「沈黙の春」を手にした。

迷走こそ自分なのだ。

ようやく、そのことに気づけた気がする。

迷走するから、学問を欲する。

いくら知識を増やしても、喉の渇きが癒されることはない。

私はきっと、そういう人間なのだ。

誰かと競い合うことは向かない。

そういう感情を向けられると逃げ出したくなってしまう。

いかなる身分でも手にした知識は、誰に侵されることはない。

父方の祖母の言葉だ。

心赴くままに、欲する何かをまっすぐ見つめて

死ぬまで何かを学び続ける自分でいたいと思う。

 

 

 

 

 

<今日のルート>

 

 

 

再始動

2024/1/28

 

 

ようやく松葉杖から解放された。

また、今年もリハビリハイクからだけど…再始動!

 

鹿田山フットパス。

カタクリの撮影で岩宿へはよく行っていて、以前から気になっていた場所。

 

 

 

 

家事を済ませて、午後からのんびり出発。

ダウンジャケットも持ったけど、日差しがとっても暖かい。

緩やかな斜面をのんびり歩く。

やっぱり山はいいな。

その場所にいられるだけで、幸せな気持ちになれる。

 

 

 

 

 

 

急がない山歩きは、鳥たちの声をのんびりと追いかけ

コゲラっちのドラミングに耳を傾け

 

 

 

 

カケスどんの鳴き声は、ひときわ大きく

ぎゃーぎゃーぎゃー

自己主張強め( ´∀` )

 

 

 

 

あ、睨まれた(^^ゞ

 

 

 

 

以前はなかなか見つけられなかったエナガっち。

最近は遠目でも発見できるようになってきた。

 

 

 

 

ヤマガラくんは、今日はピントが合わず

見ました的な証拠写真のみ(笑)

 

 

前十字靭帯と半月板の再建手術の後よりも

歩きに不安がないのでホッとした。

やっぱり山が好きだな。

戻ってきたよ。また、よろしくね。

 

 

<今日のルート>

 

 

 

 

 

 

父 旅立つ

 

 

 

 

2024年1月1日。

父は旅立った。

 

告別式を終え、組まれたばかりの祭壇の前で

夫がごろりと横になる。

その労をねぎらうかのように

息子達が無言でその両脇に寝転がった。

 

息子達への愛情の注ぎ方をみれば

夫がいかに父に愛されて育ったのかわかる。

棺が閉じられる前の最後の別れ。

夫は絞り出すような声で「おつかれさまでした」と声をかけた。

 

メモリアルコーナーの写真を選んでいると

父が母の口に、あーんと入れてあげている写真や

ふたり乗りの自転車に乗って笑っている写真や

父と母の仲睦まじい写真がたくさん出てきた。

生前、ふたりと一緒にお昼を食べている時も

夫婦漫才のような喧嘩を目撃することがよくあり

クスクス笑いながらその様子を眺めていたものだ。

 

母が亡くなったのも1日だった。

なんだか、今なら同じ月命日になるからと

母が父を迎えに来たような気がする。

 

私は大学進学のため18歳で親元を離れたので

26歳で結婚して25年。

実の親よりも長く一緒に、そして何度も

父をお父さんと呼び、母をお母さんと呼んだ。

 

大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

The Best shots of my life in 2023

 

 

1月 次男「はたちのつどい」

 

 

2月 前橋市街地

 

 

 

 

3月 小川町(仙元山)

 

 

 

4月 筑波山

 

 

4月 榛名山(黒岩)

 

 

5月 赤城山(駒ケ岳南東尾根)

 

 

5月 中倉山

 

 

5月 鎌倉(明月院)

 

 

 

6月 浅草岳

 

 

 

6月 袈裟丸 弓ノ手沢

 

 

7月 前橋市街地

 

 

 

 

 

7月 太郎山

 

 

7月 乗鞍岳

 

 

 

7月 尾瀬 センノ沢

 

8月 赤城山

 

 

8月 赤城自然園

 

 

 

 

8月 奥秩父 手戸沢

 

 

8月 那須岳 中ノ沢

 

 

9月 酒田市

 

 

 

 

 

9月 月山

 

 

 

 

 

10月 尾瀬 小淵沢

 

 

 

10月 西上州 墓場尻沢

 

 

11月 嵩山

 

 

11月 巻機山 米子沢

 

 

左脚の前十字靭帯と半月板を損傷して1年。

リハビリの先生から次回が最後ですねと声をかけられた翌週。

右足首を骨折した。

24時間必要になった父の見守りを夫に交代してもらい、できた自分の3時間。

ボルダリングの着地で、またやってしまった。

痛みよりも、後悔が優先した。

救急搬送先で応急処置をしてもらい、タクシーで帰宅。

絶対、怒られると思っていた。

夫は笑顔で、まったく〜と玄関を開けて出迎えてくれた。

後日、あの時は息抜きが必要だったよねとも言ってくれた。

退院した日には、おでんが作ってあった。

夫には、感謝しかない。

 

1年ぶりの手術。

入院期間は、去年よりも長い25日。

おかげで読書三昧。8冊読んだ。

学びたいと思える学問に出会えた。

 

行きたい沢のリストを作成した。

行ける自信もできたし、地理的なことや流域の特徴を把握できた。

 

大学時代からの友人の母上と同室になった。

わかった時は驚いたが、今では偶然というより必然の出会いだったような気がしている。

 

息子達と同じ特性を持った准看護師の学生さんと交流があり

自分がやるべきか悩んでいる仕事に関係していて、背中を押してもらった気がしている。

 

私の入院中、父も入院となってしまったが、今は状態が落ち着いているようだ。

年末までに、また一緒に暮らせたらと思っている。

 

この1年。

多くの人と関わった。

自分らしく生きることの難しさも痛感したけれど

会うべき人に出会えたと思える年でもあったと思う。

残りの人生をどう生きていくか

その道をまっすぐ見据えられた。

 

怪我はしたけれど

おそらく、必要な25日だった。

 

写真も文も拙いこのブログに

お付き合い頂き、ありがとうございました。

相も変わらず、彼方此方にぶつかり

迷走し続け

それでも、ここにブログという手紙を書き続けることで

私はバランスを取れているのです。

もしもこの、片道文通に

来年もお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

これからのこと。

2023/11/18

 

 

久しぶりに榛名の天狗山を歩いた。

夫と交代をして、午後から自分の時間ができたのだ。

 

 

 

 

ひとり暮らしをしていたK家の父の病気がわかり

急遽、同居が決まった。

もともと20年ほど前から、

平日、私はK家の両親と一緒にお昼を食べてきたし

その習慣は母が亡くなってからも変わらず

父と世間話や子供や山のことをおしゃべりしながらお昼を食べてきた。

 

 

 

 

そんな父の異変は半年ぐらい前からあった。

食欲が少しづつ減っていく。

大丈夫かと尋ねると、

80もすぎればこんなもんだろうと答えが返ってきた。

 

 

 

 

2~3週間前から、ほとんど食べなくなった。

毎日、顔を合わせている私にさえ父がみるみる痩せていくのがわかった。

何かおかしい…胸騒ぎがする。

 

 

 

 

早朝、夫の携帯に父から電話が入る。

お腹が痛いから病院に連れて行ってくれと。

すでに東京に向かっていた夫から私に連絡がきて

私は父の家に車を飛ばした。

 

 

 

 

ベッドに横たわる父は

僅かに苦しそうな表情を浮かべながら私をみあげる。

いつからなの?という私の質問に

前日の夕方からだと答えた。

亡くなった母もそうだったが、父も我慢強い人だ。

その人が助けを求めるなんて、よほど苦しいに違いない。

私はためらわず救急車を呼んだ。

 

 

 

 

それでも、父の落ち着きっぷりに

その日は痛み止めの点滴だけで帰宅となった。

翌日、念のためにと受けた胃カメラの映像を見た医師が驚く。

食事が摂れないのも確かですが、相当の痛みだったはずです…

だから昨日からそう訴えてますけど!と私は心の中で叫んだ。

父の顔を見ると、少しホッとしているようにも感じた。

 

 

 

 

そのまま入院したのち

新たな治療で入退院をしばらく繰り返すことになった。

もう一人暮らしは難しいからウチへという夫の提案に

父はしばらく抵抗していたらしい。

どうやら私に迷惑をかけたくないという思いだったようだ。

ひとまず治療が落ち着くまではウチで

その後は、また考えましょうという提案に

父はようやく、うなずいてくれた。

 

 

 

 

確かに父が気にしてくれたように

今まで通りというわけにはいかないだろう。

それでも私にとって家族は特別な存在なのだ。

あの日、母から「悪いけど、よろしくね」と託された大切な父だ。

これ以上に優先すべきものはないだろう。

 

夫も何かと手伝ってくれる。

そして、お互いに自分の時間を持てるよう話し合うようになった。

父のせいで何かを諦めるわけじゃない。

多趣味の父は、自分のせいでそうさせてるとわかればきっと嫌がるだろう。

ただ少し、今までよりも工夫が必要だ。

できない何かを悔やむより、できる何かを喜べばいい。

あの山を登りたい。

あの沢に行きたい。

思わなくちゃ、きっと何もできない。

思って、ひとつひとつできる工夫をするだけだ。

 

先日の午前中は、黒岩でクライミングができた。

帰宅して、そのままの格好で父と話す。

すると、父が懐かしそうに谷川の一ノ倉を登った話をしてくれる。

 

今日は榛名の天狗岩に行ってきたよ。

霰が降ってきて、びっくりした。

そんな話をできるのも、またいいじゃないか。

 

 

<今日のルート>

 

 

 

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魚野川水系登川米子沢遡行

2023/11/05

 

 

俺、10年くらい前だけど酔っぱらってて米子沢の記憶がほとんどないんだよね~

というトモゾウさん。

確か、癒しの沢だよね?

私の記憶では結構これでもかっていうほど連続する滝を乗り越えたかと…

いや~、まったく記憶にない。

おいおい、まじか(;^_^A

ということで、ふたりとも(一応)2度目の米子沢。

 

 

 

 

 

 

10月は寒くて、2回ほど積雪があったみたい。

紅葉はもう終わってるかなって思ってたけど、まだまだ綺麗(*´ω`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶にないと言いつつ、歩けば思い出すのかなぁと思っていたけれど

本当にまったく記憶にないらしい。

今日が初めての米子かと思うほど、トモゾウさんのウキウキが伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

トモゾウさんの1歩は、私の4歩。

必死について行っても、その差はどんどん広がってしまう。

申し訳ないなぁと思っていたけれど

俺についてこられる奴はそうそういない、という言葉に少し救われた。

 

 

 

 

 

 

滝を乗り越えたところで、先に登ったトモゾウさんが来たなって感じでニヤって笑う。

山の会に入ってクライミングをするようになり

その成果がムーヴで活きているように自分でも感じられて嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

白い岩肌と紅葉と青空。

その先にたおやかな巻機の稜線。

トモゾウさんが振り返って「天国だ!」って叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

沢で汲んだ水で作ったカップヌードルをわけてもらった。

それは、今までで一番美味しいチリトマトだった。

 

遥かに延びる上越国境線。

いつか、いつの日か、この道を歩こう。

 

 

今日も山と仲間に感謝!

 

 

<今日のルート>

 

 

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